いのちの食べかた2

そしてそして、いよいよクライマックスの?屠畜・生肉加工現場の登場です。この現場を経験済みという人は少ないでしょう。

それだけにこの現場は視聴者にショックを与えます。例えば豚の場合、彼らが死ぬシーンを私たちが見ることはありません。作業者が豚に何か作業をを施して次のステップに送り出します。その間ブヒィブヒィと騒いでいた豚はその直後に物言わぬ死体となって製造ラインに戻ってきます。

後の過程は加工だけです。無人加工機が豚の腹部に食いついてがばっと切り開くと内臓がぼっとりと現れます。あるいは、人が機械を使って豚足をちょん切る工程があったりします。

鶏の場合はるかにスケールは小さいですが、目撃するシーンは同じくらい衝撃的です。加工ラインまで連れてこられた鶏はまだその時点では生きています。彼らは後ろ足を縛られた状態でつるされてラインを移動することになるのですが、いつ彼らが絶命するのかということが私には最後までわかりませんでした。見ている側が絶命する瞬間すらわからないというのは、生物にとってあっていいことなのでしょうか。

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いのちの食べかた1

「いのちの食べかた」をみてよかったという感想に嘘偽りはありません。でもね、最初の30分くらいかな、そのくらいの間は「なんだ、この程度か」って正直思っていたのです。

なぜかというと、序盤に出てきたのは主として野菜の栽培・収穫現場、あるいはひよこの選別現場などだったからです。野菜は血を流さないし、ひよこはまだ商品ではないので殺しません。その意味ではショッキングな映像は見ないですむのです。

ただ、人によっては野菜の栽培・収穫現場を見るだけで驚きがあるかもしれません。個々の労働者が決まったパートを受け持ち淡々と作業をこなす姿はそのようなタイプの労働と無縁な人には異様に見えるからです。

でも、私にはそれほど異様には見えませんでした。私は何年もの間、工場で働いた経験があります。そこで機械の組立作業をやっていたのですが、作っているものが食品と機械という違いはあっても単純作業という意味ではこの二つはよく似ています。

だから、私の感想としては「なんだ、野菜作っているところも工場と同じなんだ。あ、でも、そうだよな。大量に同じものを作るために効率をよくしようと思ったら自然とそうなるよな」というものだったのです。自分が知っているものしか映像になってなかったので、案外平凡だなと思ってしまったのですね。

本当はこの部分にこそ、この映画を見るときにとても重要になる視点が隠されているのだと私は気づくのですが、それはまた後のお話です。

私の感想が変わり始めたのは、どのあたりからでしょうか。あるシーンで二人の男性が登場します。彼らは作業服をせっせと着ています。まるでこれからクリーン・ルームに入ってハード・ディスクの組立作業でもするかのようです。そして防毒マスクをつけ、ぴちっとした手袋をします。

いったい何なんでしょう。彼の格好のどこが食品と関係あるのでしょう。実は彼らはその格好で野菜(たしかピーマン)に農薬をまくのです。作業者がそんな格好をしなくてはならないような農薬散布。。。

謎かけのようなシーンがもう一つありました。これにも二人の男性が登場します。作業服を着た二人はエレベーターで地下に降りていきます。それもずいぶん深くまで降りていくのです。いったいどこまで行く気だよって気持ちになるくらい。彼らが鉱山で働いているのなら、あるいはトンネルの工事現場で働いているというのならわかります。彼らはいったいどんな食品と関係しているのでしょう。

実は鉱山で働いているというのも、あながち間違いではないのです。私の観察に間違いがなければ彼らは岩塩を掘る現場で働いているのです。きっと、とても良質な塩が取れる場所なのでしょうね。綺麗に切り取られた白色の岩肌のせいで、まるでそこが聖なる場所であるかのように私には見えました。

そして、この映画においてある種、クライマックスであるといっていい屠畜・生肉加工現場に話は行くわけです。

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みてきたよ

「いのちの食べかた」みてきました。とりあえず、感想として一言、見てよかった。

でも、予想と違っていたのは、普通期待するような迫真のドキュメンタリではまったくなかった点。

普通、ドキュメンタリというと、動画の解釈を容易にするため、もくしくは、こういう風にみて欲しいということをきちんとオリエンテーションするために、テロップやナレーションがあるものだけど、そういうものは一切ありませんでした。

野菜の収穫現場や屠畜・生肉加工現場で働く作業者たちが昼食時に話している雑談も一切字幕なしでした。製作に関わった会社はドイツもしくはオランダと縁があるようで、その関係上撮影場所にもドイツもしくはオランダが選ばれたのでしょうか。作業者たちの会話もドイツ語かオランダ語が多かったような気がします。

この映画を見る人それぞれが持っている体験・経験によって、この映画をどう見るかは大きく変わってくる、そんな映画であると強く感じました。そのことについては明日以降に少し細かく触れたいと思います。

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正統的美少女論?

美しい少女に惹かれない男というものはあまりいないと思う(彼女たちを性の対象とするとか、しないとかいう問題はまったく別問題である)。

しかし、彼女の美しさにはある特異な特性があって、それが彼女たちの存在を特別にしているのだろうということは容易に想像がつく。

その激しさ(vividness)、繊細さ、可憐さ、危うさにおいて際立っているとはいえ、美しい少女たちも私と同じ人間(生物)である以上、その美は芸術作品とは違って永遠のものではない。

それがアートなら、その評価は変わることはあるにせよ、作品自体が持つ形質は(永遠にとは言わないが)極めて長い間変化しないだろう。しかし、少女たちはじきに成熟した大人の女性となり、そしていつの日か老いていく。

少女たちは自分たちが有する美を、望む限り自己の手元に置くということができない。どれほど望んだにせよ、それはいずれ彼女たちの指をすり抜けどこかに消えてしまう。その意味で彼女たちはその美を所有しているわけではない。

所有されているものなら、所有者の意志に従うだろうが、それはかりそめに彼女たちに宿っているだけなのだ。そして、それを知っているのは、彼女たちを崇拝する者だけではない。どれほど意識的かは個人差もあるだろうが、それを彼女たちもうすうす知っているような気がする。

彼女たちは、いつの日か奪われる運命にある楽園に住む者たちなのだ。

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いのちの食べかた

口直しという訳でもないけれど、「いのちの食べかた」に行ってきます。

動物解放論とかもかじった事があるおいらのような人間が見ると変に感化されるかもしれないけど、とにかく迫真のドキュメンタリに酔ってきます。

フィクションの力よりもリアリティの力を感じたい。いやいや、リアリティの力なんて表現すること自体がスノッブなんだろうな。

リアリティの力、現実の力を感じ取るために特別な技法など必要ないのだから。必要なことをただ一つ。閉じていた心の目を開くことだけ。

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インディー・ジョーンズ

インディー・ジョーンズ「クリスタル・スカルうんたらかんたら」をみてきた。

あのー、インディー・ジョーンズが昔の恋人のマリオンと結ばれたのは往年のファンとしては、素直に喜びたい。

しかし、映画の出来としてはどうなのかね。なんというか、ありきたり感がみなぎっていた様な気がするね。これから映画をたくさん見ようと思った一発目としては痛いかな。

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結婚しようよ

なによりも家族を大切にしてきた。50代の会社員である主人公にもかつては夢があった。しかし、夢だけでは人は生きられない。いたずらにそれを追いかけることをやめ家庭を持った。そして今の自分がある。

映画「結婚しようよ」の公式サイトのなかに、スペシャル・プレヴューという動画がある。主人公の会社員を演じる三宅祐司と娘役の藤澤恵麻と後誰かが、ロケセットの中で吉田拓郎の「結婚しようよ」を歌うのである。

三宅祐司のギターというものを初めて聞いたけど、なかなか味があってよかった。この動画はなんだかとてもほのぼのしていて、見ていてとても心地よい。陽だまりの日曜日みたいである。

この映画、見たいけど今上映しているのはたしかとても遠いところなのだ。もっと早く気づいていたらこんなことにはならなかったのに。

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あれから30年か

毎日新聞のサイトでこういう記事が報告されていた。

英BBC放送は24日、ノーベル文学賞の有力候補とされる作家の村上春樹さんを特集番組で取り上げ、「村上ワールド」を約1時間にわたって放映した。

 番組では、村上さんを「日本で最も成功した国際的なベストセラー作家」と紹介。「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」など代表作の一節を、村上さんの人生の変遷に重ね合わせるように伝えた。

この記事を読んで、ふっと何か時代の移り変わりを感じた。

村上春樹が「風の歌を聴け」で群像新人賞を取って華々しくデヴューしたのは1979年、つまり彼が30歳のときだった。デヴュー当時から彼は注目を集めたし、その意味で常に話題の作家として活動し続けてきた。

だが、30年前に村上春樹という作家がここまで登りつめることを誰が予想しただろう。村上春樹という作家は単なる日本の流行作家の一人ではない。翻訳された作品を通じて世界で不動の名声を得ただけでなく、そして20世紀後半から21世紀前半にかけて強力な文化上の影響力を行使する大作家の仲間入りをしたのである。

彼の個々の作品については、その評価は色々ありうるだろうし、私自身、彼の全ての作品が好きなわけではない。けれども、初期の3部作、「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」は忘れ得ない読書体験を残してくれたし、それに、学部生時代に読んだ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」は初期の作品傾向の頂点に立つものだと私には思える。

それを読んだ大学生の秋に私が何を想い何を感じたのか、細かなdetail はすでに失われてしまっているけれど、その雰囲気だけは今でもありありと思い出すことが出来る。たぶん、それを私が忘れることはないと思う。私にとって彼はそういう作家なのだ。

そして彼は一流の作家であるというだけでない。翻訳家としての面も持っている。翻訳というものを少しでも勉強したことがある人間なら、彼の翻訳がいかに見事か身をもって感じ取った経験があるだろう。彼の翻訳論も興味深いものであるし、彼の創作の秘密というものに人間学的興味をかきたてられる人もいるだろう。彼は極めて創造的な人間として興味深い対象でもあるのだ。

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映画を見たくなってきた

この数週間気持ちが落ち込んでいたけど、少しそれを脱しかけているようだ。それを可能にした出来事はなんとなく想像がつくけれど、わざわざ言うほどのことはないと思うので今は言わない。

映画を見たいな。本当に気持ちのよいアニメ作品ならアニメがいいけど、そういうものがなければ実写でもいいかな。

でも、色々と面白そうな映画もあちこちで公開末期を迎えているねぇ。まさか、映画一つ見るためだけに東北だの四国だのに行く気にはならないなぁ。

これは関東だからいいんだけど、時間帯があまりに微妙な「人のセックスを笑うな」ももっと前に見ておけばよかった。永作博美がおいらは好きなんだよね。いつからだったか忘れてしまっているけれどさ。

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さかあがりハリケーン・トレーラー公開

別にひねりもなんもありません。戯画の最新作「さかあがり・ハリケーン」のトレーラーがダウンロード公開されています。

ほんとに映画のトレーラーみたいで、いけてると思います。かっこいいっす。

守永ゆかりがいちばん好きっす。巨乳だから。

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紅の豚じゃない

前の記事で「スカイ・クロラ」は押井守監督が「紅の豚」の世界を再構成したもの(というか、deconctruct って言った方が近いのかな)かもしれないなんて書いたけど、きっとそうじゃないね。この二つは世界観が遠すぎる。

「スカイ・クロラ」に比較されるべき対象は「ラスト・エグザイル」って考えた方が自然だな。予告編をみただけだとキャラクター・デザインは「ラスト」の方が好きだけど。。。というか、ただ単に、おいらが村田蓮爾のファンなんだけどさ。

「青の6号」も好きだったしな。1,2話の展開はかったるいしダルな感じだけど、3,4話のスピード感というか疾走感というか、あの展開は今でも記憶に新しいね。

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スカイ・クロラ

押井守監督作品・最新作「スカイ・クロラ」。

予告編をみていて、彼らしいという気がする。そして、彼が「紅の豚」の作品世界を一度ばらしてreconstruct すると、こうなるんだよと教えてくれる作品なのかなともチラッと思った。

生きている間、永遠に大人にはならない永遠の少年・少女か。普通のハッピー・エンドは期待しようもないよね。

その存在を知ってしまった以上、そりゃ見に行くだろうさ。

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別にどうでも

たった一回だけだったら、まぁ別にどうでもいいで済むけれど、何度も何でも見ているとだんだん気になってイラついてくるということはある。

電車になると今は動画を見られるけれど、旦那が語学堪能な外国人で自分は漫画家という女性の絵つきエッセイ(ヴィジュアル・エッセイとかいうのかね)がよく流れている。

いつもは他愛もない話題だからどうとも思わないけれど、最近流れているヴァージョンでは、母音で始まる単語の前につく定冠詞の読み方(当然カタカナでは正確な表記は出来ないけれど、大体でいえばザではなくジ)の規則をネイティブが知らないことに激しく驚嘆し自分が受けた英語教育の無意味さを嘆くというシーンがある。

最初は「アホか」と思っただけだが毎日見ているとだんだん腹が立ってきた。ネイティブが学校で学ぶ文法と我々が第2言語として学ぶ文法がまったく同じだとこの漫画家は本気で思っているのだろうか。

言語学というものを勉強したことでもなければ、ネイティブがその規則を意識したことがないのは当たり前だ。学校で文法を学ぶ以前にネイティブだったら、すでにその規則に従って無意識的に発音しているはずだからである。

その漫画家はまったく触れていないけれど、その規則のことをまったく知らないネイティブたちが、じゃ、その規則から外れた発音をしているかといえばそんなことはないと思う(まったくないとまでは言わないけれど)。

こういうことは英語だけの話ではない。日本語の文法だってそうじゃないか。我々が学校で日本語を勉強しているとき、日本語では動詞は一番最後にきますとか、習ったはずはない。ネイティブはそんなことを言われる筋合いにはないからで、無意識的にそれをマスターしているからである。

アメリカ人が日本語を勉強するときには、もちろんそういうことを一からきちんと意識的に勉強するだろう。

もちろん、定冠詞の発音を間違えるくらいのことは、あまりにもささやかだからそんなことを気にしなくても言いとネイティブが言ってくれるのはありがたいから、そのメッセージはきちんと受け取っておくことにしよう。

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ギャオス賛歌?

ガメラが好きだ。ギャオスが好きだ。あの平成ガメラ3部作が好きだ。とくに好きなのは、鳥類学者の中山忍と学芸員の水野美紀だ。とにかく、ギャオスについての論考を皆様に贈る。これは友人にあてた手紙という形式をとっているけれど、その部分はフィクションである。人を殺す武器を美しいとは、私にはやはりいえない。

 どうもお便りありがとう、楽しく拝見しました。ということでさっそくですが、感想を言わせてくださいね。

 君がギャオスに惹かれるのはまず何よりもそのフォルムに魅力を感じているからだというのは、その通りなのだろうなあと思います。東京タワーで卵を温めるギャオスを夕日が照らすシーンの美しさを賛美していた君ならそういう感想もごく自然にうなずけます。僕の好みからいえば少しタワーとギャオスの大きさのバランスが悪いのだけど、とても印象的なシーンであることは間違いありません。

 ガメラに対する気持ちとギャオスに対する気持ちが僕の中で大きく違う理由に関して、僕自身が挙げた理由よりもガメラの中に精神と呼べるようなものを、見つけ出せることを理由としてあげたのはお見事でした。

ガメラがある点で、人間以上に人間らしい(だからこそあるべき人間の姿をそこに読み取ることができる)のに対してギャオスはそうではない。彼らは欲望のおもむくままに人間を襲いむさぼり食うだけだ。人間の行動の中に、そしてガメラの行動の中に読み取れるような意志や理想といったものをギャオスの行動の中に読み取ることはできない。邪悪な意志の持ち主に対してなら憎悪することはできるが、ギャオスのような存在に対して僕には強い感情を抱けないという指摘はなかなか鋭く決まっています。

 ただ、精神不在のギャオスの営みの中に生き物としてのリアルさを見るという君の意見に対してはちょっと待ってという思いがしました。生き物らしさという言葉の意味が僕と君とでは違うのだけど、そこに僕のこだわりがあってギャオスの行動を生き物らしい営みだとはいいたくないのです。

 ギャオスは確かに欲望のおもむくままに人間を襲い、繁殖しようとします。彼らには天敵がいないし、何千年もの間眠ったままでいられる耐久卵をうんで適した環境がくるのを待つこともできるので、人間に代わって地球の支配者となることも十分可能でしょう。ギャオスが自然の生き物であって、進化の結果得た形質からそういう結果になるなら僕は何も言えません。しかし、設定からいえばそうではない。ギャオスは人工的に作られた生物であって、もともとはたぶん兵器として開発されたのではないでしょうか。そしてギャオスが自分たちの制御を越えてしまったために、ギャオスをつくった者たちはガメラを生み出したことになっていますね。

 人為的につくられたものが機能的に余分なものが削られていて、機能美と言えるような特性を帯びることは僕にもわかります。そのような特性を現代の通常兵器である、銃や戦車や戦闘機ももっているからです。ギャオスの美しさを賛美することに僕が恐れを抱く理由はそこにあります。ギャオスの美しさをたたえる姿勢と、戦闘機の美しさをたたえる姿勢は同じじゃないのか、ということなのです。(イタリア未来派と呼ばれる芸術家達は実際に、戦争を賛美しファシズムに加担しました。)

もちろん、殺人兵器を造ったのは人間だし、人間がその目的のために使用しないかぎり兵器とて単なる鉄の固まりに過ぎないのだから、本当に悪いのは兵器ではなくてそれをつくった人間だという考えが正しいということは僕にも十分にわかります。しかし僕はどうしても兵器を美しいとはいいたくないのです。もしギャオスが兵器なのだとしたら、それを美しいとは僕には口が裂けてもいえない。

 ギャオスは生き物ではなく、殺人兵器つまり、人殺しのためにつくられた機械に過ぎないという僕の主張には根拠が薄弱だと君は思うかもしれないな。人工的に作られたものだとしても生き物は生き物だし、ギャオスは自力で繁殖するという点で絶対的に機械ではないからです。なぜこれほどまでに僕はギャオスが生き物らしいという君の意見に違和感をおぼえるのだろう。たぶん、それはギャオスが兵器として作られる過程で、殺人という機能を果たすためには余分だと考えられるものを削られてしまっているからだと思うのです。それがギャオスを生き物らしいと僕がいいたくはない理由になっている。ではその削られてしまっているものとは何か。

 人間がもっているような知性を多くの生き物はもたない、それは確かです。同じ哺乳類に属する動物でも人間に匹敵する知性を有するものは他にいません。では感情はどうでしょうか。感情に関してもある程度同じようなことはいえるでしょう。昆虫やきのこに感情と呼べるものはないだろうからです。しかし、少なくても哺乳類には人間に匹敵するか、もしくはそれ以上に豊かな感情生活を営んでいるものがいると僕は思います。犬や猫を飼ったことのある人で彼らが感情を持たないと思っている人はおそらくいないでしょう。知性よりも感情の方が生物にとってずっと基本的なものだと思うのです。

イルカを自閉症の子供のセラピーに使う試みがアメリカで盛んらしいですが、それが可能なのはイルカの知性の高さもさることながら、彼らが豊かな感情生活を営んでいるからではないかと僕はにらんでいるのです。(嘘をつく能力を彼らは持っているけど、優しいがゆえにあえて嘘をつかないんだと聞いたことがある。)

 ギャオスに感情はあるだろうか、もちろん、感情の存在を否定することはできないけれど、豊かな感情生活を持っている可能性はとても低いと思うのです。彼らは共食いをします。えさがないという極限状態でそういうことをする生物はもちろんいるでしょう、人間とて例外ではありません。しかし、彼らにとって共食いはおそらく特別な事態ではない。ギャオスの卵が初めて見つかった洞窟で共食いは観察されたのですが、その時に中山忍が演じる鳥類学者(彼女は鳥類学者を演じるには少々可愛すぎるけど。)は「親がえさを運ぶことは考えられない、(生きるために)食いあったのよ。」といいます。それが正しいのなら、共食いをする状況の方が彼らにとって普通であるということになります。それは純粋なサバイバルゲームであって、強い個体だけが生き残るために弱い個体はそのえさになるのです。そのような生き物に豊かな感情生活を見いだすことはできないと思うのです。他の個体との感情交流をすることが生存上プラスになるとは思えないからです。

 仲間どおしの絆というものが存在しない生き物には、豊かな感情生活をおくっている可能性は低いと僕は思うのだけどどうだろう。卵をガメラに壊されたときにギャオスが怒ったように見えたけど、あれは果たして母としての怒りだったのか、それとも攻撃されたから怒っただけなのか。

 では豊かな感情生活をもっていない生き物は私の視点では生き物らしくないのかといえば、もちろん、そんなことはありません。昆虫やきのこだってちゃんとした生き物です、哺乳類だけが生物なわけではありません。豊かな感情生活というのはあくまで生き物の中にある、生き物らしさを形成する要素の一つであって、それに尽きるわけではない。そして、生き物らしさを形成する要素はとても多様なのです。

 僕が1番いいたいのは生き物はとても多様な生き方をしているものであって、単なる生存機械ではないということです。繁殖して次の世代を残すというのは生き物にとってとても大事なことだけど、それを実現するために生きもの達がとる戦略はとても多様で、純粋かつ単純なサバイバルゲームに生き残った強い個体が一個体だけでも残ればそれで繁殖が出来るギャオスのような生き物は普通いません。イルカ類は群れの別の個体との間で深い感情交流があり、アカカゴタケ類は胞子を作る器官をとても奇妙な形に作り上げる。ただ次の世代を残すためならそんなに多様な形など必要ないだろうに。このことだけを取り上げただけで生き物が単なる生存機械ではないことがわかります。多少なりとも生き物の多様な世界に触れた僕にとっては、ギャオスのように、繁殖し生き残る能力だけが突出した生き物(生存機械)を生き物らしいとは絶対に言えないのです。
 

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み、見つけた

いったいこの後、どうなってしまうのか、と心配していたけれど橋本タカシ先生を見つけました。

ピア・キャロシリーズで頭角を現し(本物のファンだったらもっと前からだろうけどさ)、ホワイト・ブレスでその名を不動のものにした彼の動向を気にかけていたのだけど、ちゃんとこの世界に踏みとどまってくれて本当によかった。

こんなことは本当は言うべきではないのかもしれないけれど、技術的に素晴らしいものを持ちながら、シナリオ・ライターに恵まれなかったといいたくなる原画家だった。

ホワイト・ブレスだって作品として決して悪いわけではないけれど、でももし、シナリオそのものが「パルフェ」クラスだったら、あの作品も18禁ゲーム界における屈指の名作と言われたはずなのに、残念ながらそうはならなかった。

単なるファンの一人として私が望むのは、彼が描く素晴らしく魅力的な女性キャラが、彼女たちに相応しい物語を手に入れることだけです。どうか、それが実現されますように。

夜遅く帰ってきてから秋葉原での惨劇を知りました。ネットで記事を読んでいて被害者となった方々の無念を想って涙がこぼれました。どうしてこうした事件が繰り返されるのか。どうしたらこの事件を最後に出来るのか。

日本の街に充満する無気力と、そこから突出する攻撃性がなにかこの事件と関係があるのでしょうか。今はまず犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈りするだけです。

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Wrong about Japan の続編

なんかなかなか進まないので、今のところあまり言いたいことはないのだけど、今読んでいるところ(序盤)で "Blood; The Last Vampire"の話が出てくる。

物語の冒頭のシーンから筆者は説き起こすのだけれど、そのときに出てくるのは純日本風?の武器である日本刀の話題である。

彼はやはりというかなんというか、日本刀という武器に特別な思い入れがあるようだ。彼が欧米圏のインテリだからなのか、日本刀は日本人の心・スピリットであって、特別な儀式のために用いられ、そしてかの、三島由紀夫はそれをもって自決した、云々。

悪いけど、読んでいて、もういいよっていう気になった。日本のアニメの美少女が日本刀を持っているのは別にそれが日本人の心だからでも、スピリットだからでもない。

美少女に綺麗な洋服を着せて、可愛らしいぬいぐるみを持たせりすれば、たしかに一枚の絵にはなる。でも、それだけだ。日常の領域を突き抜けて、それ以上に美しい少女を特別にしたかったら、彼女に普通ではないものをもたせる、付与する必要がある。それによって彼女の存在をより際立たせるためである。

20世紀初頭に活躍したロシア・フォルマリズムの用語でいえば(いや、大江健三郎でもあるまいに、古くてごめんよ。)、彼女たちの存在を異化するために日本刀が必要なのだ。別に日本刀でなくても、ごつくて馬鹿でかい銃でも良いし、なんでもいいのである。そういう意味ではグロテスクで男性器に酷似した巨大なスッポンタケでもいいのである(とくにアカダマスッポンタケの写真は二つの睾丸までついている)。

--ちなみに学生時代、大学際の期間中に大学裏の竹林で取ったスッポンタケを先輩(女性)に献上したら、いたく喜ばれた経験がある。--

そういう汚らわしい形をしたきのこを、悦ばしげに可愛い女の子が持てば、それだけでマニア受け(自分込みで)する絵になるのだ。

てなことを考えてしまった。これでルース・ベネディクトの「菊と刀」でも持ち出して日本のアニメ・マンガに登場する美少女キャラを議論すれば、欧米知識人として完璧なのかもしれないけど、なんというかねぇ、そんな気にはなれないね。

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さらにさらにのだめ

もちろん、二十歳前後で決めた道を人が最後まで歩き通す場合ばかりではない。

途中で路線変更する場合もあるだろう。最初に歩いた道で成功を収めていようと、そうでなかろうとそういう人はいる。

成功を収めている場合には二度目の泥鰌を狙う 新天地での成功を狙うことになるし、そうでなければ今度こその起死回生を目指すことになるだろう。

もっとも、成功をするしないという場合にも、社会的な(つまり、人と競うという意味で相対的な)成功をさす場合もあるし、個人的な(個人としての成熟を目指すという意味で絶対的な)成功をさす場合もあるだろうから、単純な議論は出来ないけれども、おおむね上のようにいえるのではないかと私は思う。

のだめは若者たちの物語のなので、新天地を目指す人たちの話がメインではない(中華料理屋の息子はそういう道を歩くのかもしれないけどね。ちなみに恋人である清良は性格もいいし、親友の沙悟浄もいいやつだし、彼自身が本作屈指のナイスガイであることは間違いない)。だから、そういう話を読みたかったら別の作品を探すしかない。ということで、マンガに詳しい友人に聞いて探してみます。

あぁ、そうだ。これは言っておかなくてはいけないな。のだめの魅力のなかに、登場人物の多彩さがあるだろうな。登場人物が少ない間は引き締まったいいドラマを展開するけれども、人物が多くなればなるほど話が間延びしてくるのが「ちょっといい」マンガだとすれば、人物が増えても、それはそれ、環境が違えばそこにいる人の性質も違うから、のだめのようにストーリーが膨らむことはあっても間延びはしないというのが「いい」マンガの条件なんだろうな。

それだけ作者の人間理解が卓越していて、人物描写に関して多彩な引き出しを持っているということなんだろう。

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さらにのだめ

近所の本屋で20巻まで読んできた。

思うに千秋・のだめ組も海外に入ってパワーが落ちた気がする。でも、それは作者のせいじゃない。

人は可能性の存在「何かとてつもないことやってくれそうな奴」のままでいるわけにはいかない。人生のいつか、普通は二十歳前後の早い段階で自分が歩く道を決めて、そこを歩いていく。

そして優秀な演奏家、優秀なエンジニア、優秀なビジネスマンになる。しかし、そのときには彼、彼女はどんなものにもなり得る存在ではなくなっている。それは当たり前だ。彼らは大人になったのであって、人がいつまでも子供でいて良い訳はないからだ。

そんなことをずっと考えていたのだけど、20巻を読み終わったときにちょっと別のことを思った。この期に及んで、それでもまだのだめは可能性の存在なんだな、そして千秋はそれをよく知っている。そして彼女がどこに歩きだそうとしているのかを見届けようとしている。

そして、そうなったときに初めて千秋は決断を下すのだろうな。一人の女性としてののだめを丸ごと受け入れるのか、それとも丸ごと拒絶するのか、いや、歩き始めたのだめに対しては改めて受け入れる必要も、拒絶する必要もないだろうな。そのときには、二人の道筋がどう重なっているのか、離れているのか二人にはよくわかっているはずだしね。

今は二人の歩く道がまったく同じではないとしても、手を取り合って歩むほどには side by side であることを祈ろう。

しかし、決着がついたときに読者としての俺はどうすればいいんだ?研究者としての道を踏み外し、おめおめと生きるおいらに起死回生の生きる道はあるのか。技あり二本で合わせ技一本勝ちを狙うみたいなさ。

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チョーカーが好き

私の個人的な性癖に過ぎないけれどもチョーカーというアクセサリが好きだ。

といっても自分がするのが好きなのではなく、それを身につけている女性が好きということである。

たとえば、ゲーム・メーカーのlightさまで掲載されている画像(ちゃんと掲載許可をいただいています)のこれ。

P_event09

短めのネックレスをチョーカーといったりもするらしいけれど、私が好きなのはこのタイプ。文字通り「首を絞める」タイプのものである。スレーブ・チョーカーというものも実際あるらしいけど、

Slave

そうでなくてもやっぱりこのチョーカーというものは首輪を連想させるし、そうである以上、それを身に着けた女性の示す記号は「服従、従順」であることは明々白々だろう。

プレ・モダンな悪趣味といわれてしまえば、それはそれで反論のしようもないのかもしれないが、内心やっぱりいいなぁと思ってしまう感情はなかなか変えられない。

しかし、「スレーブ・チョーカー」なんてものをいきなりプレゼントされたりしたら女の子はびびるよなぁ。

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星界の紋章・戦旗シリーズ

美少女ファンだったら、この本に触れないわけにはいかないだろう。

なんといってもこのシリーズのヒロインである、星界の眷属アーヴの王女、誇り高きラフィールが宇宙一の美少女だからだ。

なかなか続きが出ない本シリーズ中、私にとってお気に入りなのは、「星界の戦旗Ⅱ・守るべきもの」である。

Seikai

ある事件によって、離れ離れになってしまうジントとラフィール。刻々と体力を失い、生命の危険にまで追い詰められていくジントと、どれほど彼の無事を祈っても立場上自らは救助にいけぬラフィール。

人前では決して涙は見せないアブリアルの彼女は、わかる者にしかわからぬ涙を流していた。いや、それだけではない。どこにいるかもわからぬジントを想い無事を願い、近い未来に訪れるかもしれない悲しみの再会の瞬間に震えて、幼子のように泣きじゃくっていた。

そして、再びジントに会えた彼女は喜びが爆発しても不思議はないのに、驚くほどおずおずとして弱弱しく感じる。そしてジントは彼女にだけ聞こえるようにして、こう言うのだ。「アブリアルは(人前で)泣かないんじゃなかったの」。あー、いいね、このシーンは本当にいいね。

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琴線と逆鱗の間

毎日新聞社のサイトに、後期高齢者医療制度をめぐるコラムが掲載されている。岩見隆夫という編集局顧問のコラムである。ライティングのプロである。そのコラムの一節にこんな箇所があった。

>テレビ番組で、後期高齢者医療制度をめぐり、息子のような年齢の自民党議員と何度>かやり合った。

>「この差別的な制度は、高齢者の琴線に触れた。政治の重大な失敗だ。」

>と私が主張したのに対し、議員は、

琴線に触れたなら、その制度のあまりの素晴らしさに感動したということになってしまう。逆鱗に触れたといいたかったんだろうな。

ナウシカばりに怒りに我を忘れたんでしょう。弘法にも筆の誤りの一例ですな。

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Wrong about Japan

オーストラリアの作家のWrong about Japan というタイトルの本を買った。

Wrong

まだ、何も読んでいないけれど、なかなか面白そうだ。

数年前に欧米知識人による初めてのアニメ評論と話題になったスーザン・ネイピアという人の「現代日本のアニメ―『AKIRA』から『千と千尋の神隠し』まで」という本には失望させられた。たぶん、彼女は自分が感じたことを日本人(のアニメ好き)にぶつけることが一度もないままに本を書いたんじゃないかな。

もし、そういうことをしていたのだとしたら大変失礼な物言いだけれど、彼女の周りに集う日本人は知的センスにあまり恵まれていないのだと思った。

なんというか、海外での評価も高くなったといっても、まだまだ日本のアニメは一部のマニアが支持するだけのサブ・カルチャーであって、欧米でも一流の知識人が取りあげるほどの対象とはなっていない気がする。別にそれは日本サイドの問題ではないけれど、もうちょっと何とかしたいよね(それはおいらみたいな立場の人間が頑張らなくちゃいけないことかもしれない)。

そうじゃないと、「日本のアニメは暴力を奨励し青少年に悪影響を与える」と単純にいわれてしまうさね。

話を戻そうか。そこへいくと、本書は別に評論ではないし大学の知識人が書いたものでもない。ヨーロッパ文化圏(オーストラリアもここにいれていい?)の著名な作家が、自分の偏った日本観、日本アニメ観を打ち砕かれる内容になっているそうだから、はるかに 良心的というか、素直なつくりになっているように思うのだ。

実際に読んで面白かったらおいらが訳してもいいかな。もっとも、すぐに翻訳も出るかもしれないけどね。そうそう、本書で取り上げられているから、Blood + も今見ているよ。なかなか快調な滑り出しだね。

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新たなる伝説の始まり?

戯画にて「新作始動」ですと!!

こ、こ、この背景は。。。このリアルさと生活の匂いが漂う街並みはひょっとして、あのコンビが帰ってくることを意味しているのだろうか。

「パルフェ」と「この青空に約束を」(と、ショコラの結城すず)を生み出した、あのチームが復活するのだろうか。

も、もし、そうだとしたら、今日は本当に喜ばしい日だ。

酒だ、酒だ、酒もってこい!

もし違ったら酔っ払って不貞寝してやる。

結果はここ。

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お前ら、最高だぜ

(本当に文字通り)遅ればせながら近所の本屋で「のだめカンタービレ」を5巻くらいまで立ち読みした(レビュー専用のやつよ)。

いやー、「NANA」ほどじゃないとしても、この作品が売れまくった理由がよくわかったよ。

面白い。それも、その世界に浸りきったうえで、このリアル・ワールドに安心して戻ってこれるタイプの作品だね。今の世の中、ちょっと前なら信じられないような出来事が現実に起きているし、それをそのまま作品世界に持ち込んでいるものもあるけれど(そのこと自体は悪いことじゃない、もちろん)、この作品にはそんなダークネスの部分はない(少なくてもここまでは)。

明るく朗らかでそしてひたむきで、ほんのわずか、隠し味程度にセクシュアル(主人公たちというよりもミルヒホルスタインが)で、読んでいてなんだかとてもハッピーになれるのだ。

うーー、「千秋、のだめ、お前ら二人とも最高だぜ」。

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永遠のヒロイン

アニメやら、ライト・ノベルやら、エロゲーやら、フィギュアやらが好きな人間なら誰であっても心の内奥に永遠のヒロイン(ヒーロー)がいるだろう。

それは誰だろう。小さなテレビで親と一緒にたまたま放映時に「カリオストロの城」をみて、そのときに網膜に焼き付いてしまったまま今でも心の中に生き続けているクラリスの姿だろうか。

(馬鹿げたことに、まだ子供だった頃の私は、大きくなったらクラリスのような女性と知り合って恋に落ちる日がいつか必ず訪れるのだと信じていた)。

それとも半年ほど前に待望のリニューアル版がでた「水月」のヒロインだろうか。雪ももちろんいいけれど、私が好きなのは花梨だ。ひたむきで頑張りやで、そして不器用で可愛らしい。あー、でも、雪・ルートの花火のシーンは雰囲気があってよかったねぇ。

まだゲームがフル・ボイスになったりする前の話だから、登場人物の声はないけれど忘れがたいシーンだった。それから、雪・ルートで姿を消した彼女を追って別世界に行こうとする主人公を、ずっとずっと好きだったからこそ全身全霊で引きとめようとする花梨の姿に心を打たれたね。

彼女を振り切るのが忍びなくて何度もあそこで花梨を選んだよ。

あ、あれ、何の話だったっけ。

そ、そう、忘れがたいヒロインの話。

彼女たちもそうだが、なんと言っても極めつけは、「リトル・ラバーズ(・シーソーゲーム)」のヒロインである、あや、さゆり、(ゆりか)です。

Lovers

生みの親は近永早苗さんでしたな。とにかく、「何の意味もなく媚びた笑いを浮かべる女の子を描きたくない」という姿勢にすがすがしさを感じました。そういう姿勢がヒロインの中に生きていると思いました。本当に生身の女の子のように感じましたから。

一年一緒に生活したあやがいなくなってしばらくは本気で放心していましたね。

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アダルト・コミックの傑作

少し前にずっと前から鳴子ハナハルさんのファンだったと書いたし、それに嘘偽りはこれっぽちもないのだけど、アダルト・コミックということでいうと忘れてはならない人がいる(作品がある)ということを言わずにいられなくなってきた。

(まったく難儀な性格である)。

何をアダルト・コミックの傑作とみなすかということで言えば、まったくそれは人それぞれだと思うけれども、私はCuvie 氏の 「Cloudy」をそう評価したいと思う。

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なんといっても、この短編集のここの作品にはストーリーがある。「馬鹿か、お前は。どんなコミックにだってストーリーはあるだろ!」といわれれば、それはその通りなのだけど、私が言いたいのはそのストーリーにリアルさがあるということなのだ。

ここでいうリアルさというのは、実際にそういうことってありそう、そういう女の子っていそうって言う意味でのリアルさではない。実際にはこの短編集で起こるような出来事は現実にはほとんど起きないだろうし、この短編集に出てくるような魅力的な(男にとって都合のよい)女の子は現実にはいないだろう。

でも、例えば、そこにある種のディテールをブレンドすることによって、この作品群は最も重要なものを獲得しているように思える。男にとってエロをもっとも刺激するものは日常の中の非日常、非現実の中のリアルさだという気がするからである。

ぐちゃぐちゃ言っているけど、実際には長期にわたる実用性に大満足しているだけです。描写させる女性の身体の線は綺麗ですし、これだけ読者を飽きさせず鮮度を失わないコミックを私は他に知りません(同一作者の同時期の作品群を除けば)。

 

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ベルセルクの世界

昔、友人がはまっているのを隣で眺めていただけだったのだけど、このサイトHEADLONGさんを見て驚いた。

変な生き物が好きな私だが、このcreatureの造形はすごい。伯爵は気持ち悪いが妙にかっこいい。とくに後姿を見ているとぞくぞくする。

なんだか、とっても憧れを掻き立てられてしまった。ベルセルクも読んでみようか。

なんで魚を作ったのかその経緯はわからないけど、シルバー・アロワナもかっこいいぜ。これだけ上手な人に深海魚とかカメレオンとかアカカゴタケなんかも作ってもらいたいな。

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ファンの証

ずっと前から鳴子ハナハルさんのファンだったと書いたことがあるけれども、そもそもの始まりはコミック失楽天の「鳴子ハナハル大特集号」(2005年9月号増刊)だった。

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この特集号の巻頭に収められている作品「2/4 4ブンノ2」のヒロイン、絵里の魅力に撃沈されたんだと思う。その魅力は言わずと知れた巨乳と、あのときの、この表情。

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派手さはないけど「紅い水」という作品も落ち着いた佳作だと思った。

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マックス・ファクトリー「フィーナ」

こんな写真載せてどうするのって思う気持ちはあいかわらずあるけれど、とにかく、このフィギュアの魅力は腰周り(くびれの部分)だということを言いたかった。ほんの少しでもその雰囲気が伝われば。。。

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出発前に

田舎に向けて出かける前に、懐かしさのあまり何度も何度も「群青の空を越えて」のプロモーション・ビデオを見ていた(このゲームを再度やりたくなって探したのだけど、どうも今現時点では自分持っていないみたい。当時かなり人に勧めていたので「ぜひ、やってみて」って無理やり誰かに押し付けたままになっているみたいだ)。

これをみているとやっぱり物語にリアリティを与えるためには、ヒロインたちやサブ・キャラはもちろん、主人公を含めたフル・ボイス形式を採用することが望ましい気がしてくる。

修司とリコとの会話だって、リコだけじゃなくて修司の声もあったほうがいいなぁと思ったところがたくさんあった。主人公の声だけはない、主人公は顔もあまりはっきりとは描かれない、というのが18禁ゲームのクラシカル・スタイルだけれど、もうそろそろそこから脱却してもいいんじゃないだろうか。

おいらはコンシューマー版のゲームにはほとんど関心がなくて、18禁PCゲームほとんど一本やりの偏屈オヤジだけど、そこはやっぱり恋愛がメインテーマならセックス・シーンがある方が自然だと思うんだよね。だから、その展開もストーリーに沿ったもの(主人公・ヒロインの日常に沿ったもの)をみたいと思う気持ちが強いみたいだ。

だから、Littlewitch の「白詰草話」みたいに、Hなシーンになるとあの日常の優しさはどこへやら、主人公に嗜虐性が入ってやたらとヒロインを(言葉で)いじめたり妙にエロエロになったりする展開は苦手なんだよな。

この作品自体は好きだよ。FFDというシステムは面白いと思ったし、動くマンガというのはなかなか適切で将来性のあるコンセプトな気がするし、ゴージャス系金髪美少女のエマは文句なく可愛いしさ。

ただ、FFDを物語全編に使うと物語のボリュームがなくなるという点をユーザー(つまり僕たち)に指摘されて色々と苦しいみたいだね。変にやり込み性のあるゲーム・エレメントを物語に入れても、そういうのが好きな人ばっかりでもないしね(逆にそれで冷めてしまう人もいる)。

シナリオ分量は少なめだけど、おいらとしては「Quartett !」は中々よかったと思うけどなぁ。いやむしろ、物語の序盤から中盤までの出来は本当に神がかりだと思ったし、その意味でFFDは強烈に効果的だったよね。それにシャルロット・ルートには物語にリアルさがあったしよかったよ(あれ、エマといい、おいらって実は金髪好き?)。

ただし、リ・スウファの扱いは可哀想だったな。楽しみだったんだけど見てられなくて最後までいけなかったな。あ、いかんいかん、話が脱線しまくりだね。時間も時間だし、この話題はまた後で。

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民族大移動

どうしようかとずいぶん悩みましたが、民族大移動の一部となって帰省してくることにしました。「明日の君と逢うために」スピン・アウト作戦も連休明けまでお休みです。

期待してくださっている方々(がいらっしゃるとして)にはご迷惑をおかけしますが、人ごみに紛れて辟易してリフレッシュ?してまいりますので今しばらくお待ちください。

今日の昼間は「彼女×彼女×彼女」(クロスネット)の体験版をやっておりました。八宝備仁さんの描く女の子はやはりとても可愛いですな。それに、とても人物を含めて絵がとても綺麗だと思いました。

鳴子ハナハルさんとどちらが好きかと聞かれたら、これはかなり困りますね。これでさらに「Pia・キャロ3」、「ホワイト・ブレス」の橋本タカシ先生が入ったら三つ巴になりますが、まぁ、その辺は決着なんてつくはずがないので結論なんていいません。

そうそう、体験版でした。絵は満点です、最初は設定と合うのかなと心配しましたが、秋奈役の声優さんもいいと思います。ただ、ストーリーは少し簡単にHシーンに行き過ぎる気がしますね。

それから、そこにいたる展開もちょっと無理があるかと。。。もちろん、「明日の君と逢うために」のようなシリアス系の作品を好む人と、H系のシーン(実用性)に重心がある人とでは単純に好みが違うだけなので、これは作品の良し悪しの問題ではないですよね。それでも、体験版は十分に楽しめましたよ。

三姉妹は本当にいいなぁ。(好みが違うから)たぶん、買わないと思うけど、それでもちょっと悩みますね。

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群青の空を越えて

慣れない作業で疲れたので、寝る前に少し感傷に浸ってみる。

この作品ももはや懐かしいといわなくてはならないんだろうな。

Light の作品「群青の空を越えて」のOP曲「アララト」はかっこいいよね。

どうして彼らが戦わねばならないのか、という根本のところが少しあいまいにされているように思えてそれが残念だけれど、よく健闘していると思うよ。この作品は。

シナリオなんかにちょっと手を入れるだけで、本当に見違えるような作品になって映画化なんていうことだって十分ありそうな気がする。

プロモーション・ムービーだって映画の予告編並みの出来じゃないかな。主人公たちが文化祭で演じる劇に、チェーホフの「かもめ」を使ったりするのも芸が細かいというか、かっこいいぜ。

声優陣もみんなうまいよね。おいらはあんまり詳しくないから、あまりよくわからないんだけど。あ、そうか、なぜ、この作品を思い出しのかを思い出した。

主人公の声は、瑠璃子のお兄さんじゃないか!!

ちなみにこの作品の中では若菜が好きです。

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スピン・アウト難しいぞ

ちょっと、やり始めたのはいいけど、勝手がわからないから中々難しい。

自分でシナリオ作っていて勝手に気持ちが盛り上がって、涙が出そうになったりして。。。おいらも結構馬鹿だな。

でも、こんなシナリオじゃ瑠璃子ファンに殺されるかもしれない。いやいや、おいらだって彼女のファンだから別に酷い目にあわせるつもりはさらさらないけれどね。

しかし、それなりに自分が満足いくものを作る気だったら、これはそれなりに習熟しなくちゃいけないな。もっとも、センスの部分はどうにもならないけど。。。

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タイトル変更

「明日の君と逢うために」スピン・アウトのための構想を練っています。ただ、仕事中に没入してしまうと困ったことになるかもしれないので、少し手加減をしています。

単純にショート・ストーリー、アフター・ストーリーのようなものではなくて、立ち絵やBGMを使用できるというのがいいよね。でも、CGを自分で足せるわけではないし、声優さんに演技を頼めるわけでもないから、そこがちょっと残念だよね。

まぁ、その辺のリクエストなんて言い出せば切りがないわけだけど。

ところで、このブログのタイトルですが管理人のペン・ネームをそのままとってTWELVE NINE ということに変更しました。ペン・ネームはTwelve Nine なので一応?差別化を図っているつもりです。

自分が本当に好きなことに対しては妥協をせず純度を保つ姿勢を表現しているつもりですが、まぁ、そんなことはどうでもいいですね。

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明日の君と逢うために-4

前の日記でリコのエンディングを迎えて、物語が終わってしまうと自分だけはじかれてしまったかのような寂しさを覚えるよなんて書いたけど、「明日の君と逢うために」・スピンアウトというものがあるんだね。

あー、なんか書いてみたいなー。たいしたもの書けるほどの文才はないけど、リコの物語をもっとみたい。彼女と時間を共有しているような、そんな時間がもっと欲しい。

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ガーネット

奥華子さん、「ガーネット」。

この曲は「時をかける少女」のED(それとも挿入歌だっけ?)として使われたんだよね。

瑠璃子エンディングを迎えて少しナーバスになっているのかな。二人の行く末がきちんとしたハッピー・エンドだったのは嬉しいけど、だけどさ、物語が完結してしまうと同時に物語の外で生きている現実の人間(つまり私)はもう物語の中には入ってはいけないんだよね。

というか、彼女たちの新しい物語を見られないからか、リコの物語から自分だけ排除されてしまったような悲しみを覚えるよ。こんなこと考える人ってひょっとして珍しいのかな。

とにかく、この曲を聴いていると胸が締め付けられるくらい切ないね。

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明日の君と逢うために-3

途中悲しみで目がくらんで苦しんだりしたけど、この時間までかかって瑠璃子・ルートで二つのエンディングを迎えたよ。

どっちかがTrue End でもう一方がNornal Endかと思っていたけど、どちらもTrue Happy End だね。少し意味合いは違うかもしれないけど、でも二人が結ばれるという点では同じだしさ。

二人の記憶が失われる方は、再会を描いて結ばれるのを示唆しているだけで実際にはそこまでは描かれていないけど、まぁ、ああいう描き方なら間違いなく二人はいずれは結ばれると思っていいよね。ユーザーをエンディングでこういう風にきちんと安心させてくれるメーカーさんは良心的で好きです。その意味でパープル・ソフトウェアさんは良心的でよいメーカーさんですね。

うん、ひねりとか特別凝ったところはないけど、安定したいいストーリーじゃないかな。これなら、リコを好きになって彼女を選んだことを後悔する必要はまったくないね。彼女は本当に魅力的です。

次は明日香かかな。ツンデレの二人もさすがに魅力的だけど。。。うーーん、やっぱりリコを真っ先に選んだ人間としては、リコと同じ幼馴染であり彼の帰島を促した存在である明日香を次に選ぶのが自然な気がするよね。リコも物語の途中で自分が死んだ後、恋人を託す相手として明日香を選んだわけだしさ。

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明日の君と逢うために-2

リコと付き合い始めたところ。このまま終わるとしたら、おいらが苦手な展開だな。

本当にリコが短命なのだとしたら、別の子を選べばよかったなんて酷いことを考える。

ここまで来るあいだに、ツンデレ二人組みも口が悪かったりするけれど、優しい女の子だったんだなってわかるしさ。不機嫌になったりする舞も可愛い。

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すごく可愛い

閑話休題というか、なんというか。スローモーションを歌っているんだから、デビュー間もない頃の中森明菜さん

顔もふっくらしているけれど、しぐさも笑顔もすごく自然で愛らしいと思う。言うまでもないが、新人とは思えないくらい歌もうまい。

「ストライド長い足先、ゆっくりよぎっていく。その後を駆けるシェパード♪、口笛吹くあなた」。というところがとくに好きだな。人前で歌えることが楽しくて嬉しくてたまらないという感じの彼女の姿は、こうして画像を見ているだけの人も幸せな気持ちにできる。

現在の彼女も、このときと同じように幸せならいいのだけれど。。。

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明日の君と逢うために

連休に入ったので、少し進みました。

ここはまだ体験版に入ったいるところだけど、初めて主人公がリコのことを思い出すシーンがあるよね。ここはいいな。

しかし、尋常じゃないほど可愛い女の子で、巨乳でスタイル抜群で、控えめで大人しくて、でも自分がないわけじゃなくて、本当に自分が大事にしていることに関してはきちんと自分の考えが言える女の子に、(物語の序盤では)こんなに一方的に片思いされているシチュエーションなんてあっていいのかね。

いやいや、そりゃ、あっていいのさ。あってほしいのさ。そして、その男が自分だったら。。。たぶん、この世で怖いものなんてなくなるよね。

ということでリコの可愛さに今日は乾杯しよう。それから、オーガストの人気投票では悠木陽菜ちゃんが一位に決まったね。おいらも当然彼女に入れ続けたよ。本当によかった。でもまだ本編はやってないんだよ、ごめんね。

それから、少し前のことだけど、マックスファクトリーのフィーナを買いました。ちょっと足が細くて長すぎるけど、でも彼女の腰周りの魅力はダイナマイト級だよね(増量されている胸も魅力的だけどさ)。いつまでみていても飽きないよ。

下手は下手なりに、でもちょっと挑戦してレヴュー写真を撮ってみたくなるようなフィギュアだね。本当に素晴らしいです。買ってよかった。

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鳴子ハナハル氏の「少女マテリアル」

「明日の君と逢うために」の話題は少しお休み。だって、体験版でやったところって、なかなか進まないんだもの。さっさと飛ばしてしまえばいいのかもしれないけど、ひょっとしたらテキストに変更があるかもしれないし、それにそこを飛ばしちゃうと主人公とヒロインたちの気持ちにうまく寄り添えないような気がするんだよね。

ということで、今日は鳴子ハナハル先生の「少女マテリアル」のご紹介を。なんと、信じられないことにこれが大人向けコミックとしては初作品なのだそうな。初めてその作品に出会ってから、氏の描く少女たちの健康な美しい肢体に魅了され続けてきたファンとしては、本当に本当に本当に、待ちに待ったコミックスなのです。

詳しい紹介は「萌えよ、アキバ人ブログ」(本当にいつもお世話になっているサイトさんです。フィギュアの情報が豊富だし、管理人さんは決して人を貶めるような物言いをされないしね)をみていただくとして、えと、もちろんコミックは買うとして、ファンの私も発売を祝して何かやりたいなと考えているわけです。といっても、たいしていい考えがあるわけではないですが。。。

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とにかく

「明日の君と逢うために」の話題だけれど、ここまできた以上、とにかく製品版を買って、その最後まで見届けてみることにした。

げっちゅこむでの買い物も久しぶりじゃ。

そうそう、そういえば、この前、立川のボークス・ショールーム(だっけ?)に行ってきました。ボークスのフィギュアは高いのでとても私には手が出せませんが、あのー、アリスソフトのハルカの制服版・組み立てキットはすごくいいですな。

彩色された原型の写真が貼ってありましたけど、おもわずはがして来ようかと思うくらい、えっちな感じでしたよ。

さすがというか、ボークスにはいろいろと材料・工具類も揃っているみたいだし、下手でもいいから自分が好きなキャラクターを自分で作ってみたいという気持ちになりますなぁ。

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明日の君と逢うために

「明日の君と逢うために」は、げっちゅこむでもユーザーから高い評価を受けたパープルソフトウエアの作品であって知っている人は知っている名作である(らしい)。

昨年末に友人に強力に薦められながら、ほぉ、そんなものかな、たしかにヒロインたちはそれなりに可愛いと思うけどなー、なんかイマイチ買うほどの決定力がないなーー、なんて勝手に思っていたのだけど、ふと気が向いて体験版をやってみて、これはかなりよさそうだとわかった。というか、はまってしまったのだよ。

体験版の中で展開されるストーリーはわりとこのジャンルで言えばスタンダードであって、その意味では意外性はないけれども、人物描写がしっかりしているし主人公もヘタレではないので登場人物に感情移入が出来る。これは大きい。

巷では、「無駄に巨乳」の人とか、ツンデレ二人組が人気が高いようだけど、おいらは明日香と瑠璃子が気に入った。ちょっと能天気に見えるのがよくないのかもしれないけれど、十分に明日香は魅力的だと思う。

記憶を失った自分、その自分の過去を他の誰よりも知っている幼馴染の少年。久しぶりに再会した両親にすら感じなかった馴染みの感情を唯一与えてくれる特別な少年に向ける、あまりに無防備な好意。

いや、そりゃ、むりだろ。これだけ魅力的な女の子に、文字通り身も心も無邪気に擦りよられたら、年頃の普通の少年が自制できるわけないだろという感想は当然持つけれど、なんというか、自分は小さかった彼女のことすらよく知っていて、当時を知っている人に言わせればまさしく「二人で一人」だったのに、彼女の方は今の自分しか知らないということが彼にとっては唯一の歯止めになっているんだろうな。

その当たりの心の機微はよく描けているんじゃないのかな。

瑠璃子、リコの魅力の方が言わずもがなだよね。幼馴染という点では明日香と同じだけど、おとなしくて内気な、で